一、姫のおいたち

一、姫のおいたち

むかし、竹取りじいさんと呼ばれる人がいた。名はミヤツコ。時には、|讃《さぬ》|岐《き》の|造麻呂《みやつこまろ》と、もっともらしく名乗ったりする。

野や山に出かけて、竹を取ってきて、さまざまな品を作る。

|笠《かさ》、|竿《さお》、|笊《ざる》、|籠《かご》、|筆《ふで》、|箱《はこ》、|筒《つつ》、|箸《はし》。

|筍《たけのこ》は料理用。そのほか、すだれ、ふるい、かんざし、どれも竹カンムリの字だ。

自分でも作り、職人たちに売ることもある。竹については、くわしいのだ。

ある日、竹の林のなかで、一本の光るのをみつけた。ふしぎなことだと、そばへ寄ってよく見ると、竹の筒のなかに明るいものがあるらしい。

その部分を、ていねいに割ってみる。手なれた仕事だ。なかには、手のひらに乗るような小さな女の子が、すわっていた。まことに、かわいらしい。

じいさんは、つぶやいた。「竹とは、長いつきあいだ。高いとこ、滝のちかく、たくさんの竹、指にタコ。竹はわたし、わたしは竹。うちの子にしてもいいと思う」

両方の手のひらで包むようにして、家へ連れて帰った。妻のおばあさんに、わけを話して育てさせた。

ずっと子に恵まれなかった老夫婦。それに、あいらしく美しいのだから、心の込めかたがちがう。竹の製品は、お手のものだ。ゆりかご用の小さな籠、留守中にネズミが近付いたりしないように、かぶせる籠。いろいろ頭も使った。

じいさんは、その日から、珍しい竹に出会うようになった。|節《ふし》と節とのあいだの筒に、|黄金《こがね》が入っているのだ。なにか、ぴんとくるものを感じるので、それとわかる。そのおかげで、しだいに金持ちになっていった。

この子は、日がたつにつれ、若い竹のように、すくすくと大きくなっていった。三ヵ月ぐらいで十三、四歳ぐらいの、普通の娘と同じほどに。髪をたらし適当に切っただけの子供あつかいではと、前髪を上にあげ、たばねてうしろへたらすようにした。

おとなっぽくなった。また、女性用のハカマを着けさせた。|裳《も》と呼ぶもの。外出させないどころか、すだれで囲った部屋を作り、そのなかで大事に育てた。それを建築するぐらいの金はあるのだ。

わが子という思いを除外しても、その顔つきの、きよらかで美しいことは、人なみでなかった。日のささない家のなかでは、暗い場所があっていいのに、光がみちあふれているようだ。

精神的にも、明るさがただよっていた。竹取りじいさん、気分が沈んだり、疲れて苦しさを感じたりする時も、この子を見れば、それらは消えてしまう。怒りを感じた時も、それがおさまる。

仕事に出かけるたびに、じいさんは黄金の入った竹を持ち帰る。そのため、かなりの財産ができた。むかしは|長者《ちょうじゃ》と呼んだものだ。家事を手伝わせる人も|雇《やと》った。

娘も成人といっていいほどになったので、名をつけさせようと思った。じいさんは、秋田という男を呼んだ。|御《み》|室《むろ》|戸《ど》で|神《かん》|主《ぬし》をやっている。「この子に、いい名をつけてくれ」「なよ竹の、かぐや姫がいいだろう」

なよ竹とは、ほっそりと、しなやかの意味を持つ。かぐや姫とは、きらめき輝くように見えることから。

それから、三日にわたる大宴会。成人を知らせ、祝うためだ。近郊の人たち、遠くても成人した男性はなるべく招待した。ごちそうを出し、酒をすすめる。歌う人も出る。

笛、|笙《しょう》、そのほか管楽器。ひちりきだって、もとは竹のついた漢字だ。小さいのは|篠《しの》|笛《ぶえ》。|箏《こと》は当時の弦楽器の総称。

竹取りじいさん、姫をみなに見せて自慢したいし、ほかの男の目に触れさせたくないし、複雑な気分。しかし、かくしたままでは、なんの会かわからない。最も盛りあがった時に、声をかけた。「みなさん、かぐや姫です」

すだれを、さっとあげる。一瞬、静まりかえる。あまりの美しさ。ころあいをみて、すだれをおろし、もとのようにする。「もっと見せてくれよ」「いま、お見せしたでしょう」

酔った上での幻と感じた人も多かったろう。そのため、だれも帰宅し、いかにすばらしい姫だったか、話してまわる。大げさになりながら、うわさがひろまる。

聞かされたほうは、想像力でふくらませ、あこがれる。この目で見たいものだ、わがものとしたいものだと、やってくる。男性なら、地位も職業も関係なしに。

姫の家の門のそばに住む人も、|垣《かき》|根《ね》の近くの人でさえ、容易に見ることはできないのだ。それなのに、男たちは暗くなっても眠ろうとせず、|闇《やみ》のなかで垣根ごしにのぞこうとしたり、垣根に穴をあけようとしたり、大声をあげたりする。

それを「よばい」とからかう人も出た。本来は「呼ぶ」の変化だが、よき女性をめざして、|装《よそお》って夜に寄ってくることまで広めたのだ、という話だが。

ちょっと、ひと息。

竹とはねえ。その目のつけどころがいい。発想といったものでなく、もう感覚的に神秘性がある。二十四時間で一メートルも伸びることもあるのだ。

パンダの食べ物に不可欠なのだ。どんな成分かは、まだ研究が進んでないようだが。ロンドンの動物園のパンダには、どこから運んでいるのだろう。

発明王エジソンが、電球を作ろうとした時、内部のフィラメントに、適当な物質がない。片っぱしから試みたが、どれもうまくいかない。ついに日本から竹を取りよせ、それを細くして炭化させ、はじめて電気を光に変えた。

この『竹取物語』は、そんなことよりはるか昔、西暦九〇〇年の少し前ごろに作られた。『源氏物語』のなかで、紫式部が日本最初の小説と書いている。

はじめに、竹カンムリの字を並べたが、そのほかにも各種ある。|笑《わらい》など、なぜ竹に関係しているのか、わからない。物語というものは、竹のようなものか。

|筋《すじ》はストーリー。|筈《はず》は展開。|策《さく》は着想。|算《さん》は構成。|第《だい》は次第であり、順序。|等《ひとし》や|符《ふ》は大きな乱れのないこと。

|簡《かん》は、よけいな部分のないこと。|箔《はく》は、しゃれた文体。|節《せつ》は、区切り。|答《こたえ》は結末。名作は|範《はん》か。|籍《せき》や|簿《ぼ》は、分類のことか。メモは|便《びん》|箋《せん》に。常用漢字では|編《へん》だが、以前は篇の字が使われていた。

たまたま、そうなっただけだろう。新説を主張するつもりもない。なにかの話題のきっかけになればと。

では、話を進めるか。